日本の音楽展に寄せられた作曲家諸氏よりのメッセージ


“日本の音楽展 ”第40回を目前にして
作曲家 田中 友子
 ”日本の音楽展”も遂に40回目を迎えることとなった。演奏家が選ぶ日本の音楽作品展が、創立者熊谷弘氏の強い動機に支えられて、この決して短くない歳月を生き抜いてきたことは、特筆されるべきではないだろうか。 昨今、クラシック音楽業界も盛況とは言い難い状況にあると聞いている。一つにはIT革命によって時と場所を 選はばず、我々は好きな時に好きな音楽を聴く事が出来るし、チケットを買って、決められた時間に決められた音楽会場に出向くということには、特別の意義が求められる時代になったともいえる。 
 そして特に生演奏を聴く意味。このことはスポーツ観戦を現場で体験する時のスリリングな興奮と、どこか共 通した部分がある。 
 演奏家の体調、そして客席の受け入れ態勢が温かいとき、冷たいとき。 
 作品を提供する本人が現存していて、会場のどこかで不安な面持ちで息をひそめているとき。 
 「生演奏はステージと客席がどのようにコネクト出来るかがカギと言えるでしょうね」と熊谷氏は言われた。 このことは出演者にとって最も気になる部分であり、客席にとっては感動を体験できるか否かの境目となるとこ ろであろう。 
 日本の音楽作品と一口に言っても、過去にさかのぼって考えると、輸入文化の一つとしての、西洋音楽の確 立した手法に沿った作品群が、多少啓蒙的な意味合いで歓迎された時代もあり、時流にのった実験的作品群が珍しがられた時代もあり、また日本独自の楽器と西洋楽器とのコラボレイションによるヨーロッパでの初演が企画された時代もあって、聴衆の受け取る印象としては決して一律ではない。 20世紀のあけぼの時代から見れば、今の音楽事情には100年という歳月をかけての豊かで多様な成熟の後が見られると言える。
 ”日本の音楽展”の核となる部分は、開催者側が決して作品の傾向に注文を付けない点にある。 あくまで演奏者の意志を尊重してのプログラミングであり、このことは作品提供者にとっても温かい配慮である。では聴き手側にとってはどうであろう。 
 ここで問題となるのは、先ほど述べたステージと客席との一体感であろう。 新作に限っていえば、聴き手にとって初めての作品との出会いは、気を許せる友人との会合のようなわけにはいかない。どこかに多少の警戒感を秘めており、疑心暗鬼とは言わないまでも、儀礼的な受け入れ方をされることが多いのではないだろうか。 
 ここで昨年の”知られざる名曲”の発掘を提唱された熊谷氏の一文を想起せずにはいられない。”作品は繰り替えし演奏されて名曲となる” 新しい音楽作品が人々に愛され、定着するための必須条件として再演、再々演が望まれる一方、現在、一度限りのコンサートでさえ、どれほど多くの陰の力がこの一日のために費やされているかに思いを馳せるとき、聴衆の一人として再演の実現を、と簡単に願い出るわけにはいかない。
 継続し、定着するとはなんと厳しく大変な事であろう。
 しかし”日本の音楽展”を山登りに例えてみて、険しい峠を越え、頂上をめざして眼下にひろがる人里を眺望 出来る位置にまではきている、といってもよいと私は思う。
 日本の音楽文化の裾野を確実に広げたこの”日本の音楽展”が、人々の愛する居場所として、更に定着する 日が近いことを願ってやまないのである。                (2018年1月)
http://www.sido-music.com/

日本の音楽展40回おめでとうございます 
                                作曲家  田村 徹
 音楽展を主宰されている熊谷 弘先生とは故郷が同じ、大学が同じ、作曲の師匠「クラウスプリングスハイム先生」が同じというこご縁で今日までお付き合いが続いています。 
 ある時プリングスハイム先生が「おまえの先輩で同郷の熊谷弘を知っているか?」と話しかけられ(20代後半、私は先生の作曲助手をしていた)それに続く言葉がとどのようなものであったか全く失念していて思い出さすことかができないが、その時以来「熊谷弘」の名前は脳裏に深く刻まれ今日に至っている。 
  時を経て熊谷先生の指揮によるストラビンスキーの「兵士の物語」の演奏を聴く機会に恵まれ、 音楽のみならず舞台の演出効果にまで細心の注意を払われた素晴らしい出来に感動したことを思い出す。
   以来、私の在京中は互いに思い出しては電話をかけ合い酒席を共にするようになった。   
 そのような流れの中で「日本の音楽展」構想も伺ったに違いないがある時 巨大なインパクトを持って、主宰・熊谷弘「日本の音楽展」シド音楽企画代表・松崎三恵子の名前が日本の音楽界とりわけクラシック系作曲家の前へ現れ、多くの作曲家たちに喝采を持って迎え入れられ今日に至っている。 
 この音楽展は官によって行われるのではなく民の手で行われて今日40回を迎えいまだ発展の途中にあることは驚異と言わざるを得ない。 
 最近の音楽界はすべてのジャンルにわたり、商業主義的価値観が前面に出る傾向にあり、そのようなものを主宰する側の論理が前面に出てきているように思われるが、作曲家の視点と演奏家の視点を有する熊谷弘先生がこれからの音楽展の在り方についてどのような設計図を描かれ ているのだろうか? 
 これからのご健闘を祈ってやまない。               (2018年1月)http://www.sido-music.com/





日本の音楽展30周年に寄せられた作曲家諸氏よりのメッセージ


祝「日本の音楽展」三十周年

渋谷 澤兆(1930年4月生)

 わが国の音楽歴史をふりかえってみても、この「音楽展」は音楽の世界の流れに新しい息吹と刷新と方向性の確立をもって活動をはじめた。新運動であり歴史の始まりでもある。

明治初期音楽事始め以来西洋音楽偏向の強い音楽界では邦人の作品展や演奏会で取りあげる邦人の作品は限られており、専ら西洋的志向の方向性にあった。常々日本語で作曲し、日本語で歌うごく自然な働きが出来ないものかと考えていたものである。

そこに熊谷氏が「日本の音楽展」を立ちあげ、多くの諸問題をかかえながら三十年の長い月日をかけて音楽展の労作に努力され立派な業績を残されている。大へん有意義な運動であり、心に残る邦人作品の再発見でもある。最初は「三夜」の音楽展で私も第三回に野口龍(Fl)山口昭二(Br)菊池百合子(P)三氏の演奏による「誦承」を出品している。

以後、音楽層の輪も拡がり現在は「六夜」の大きな音楽展になっている。

今年で三十周年を迎え日本の音楽展の発展に大きな力を注がれたことは偉大である。拍手をおくりたい。

熊谷氏をはじめスタッフの皆さんの今後のご活躍を祈念します。



音楽展30周年によせて

田中利光(1930年7月生)

 毎回六夜に亘る演奏家による作品の祭典が30年も続いているという前代未聞の驚異の記録は熊谷さんの人間的な魅力に拠っているところが大きいと私は思っている。集まってくるたくさんの音楽家たちは、ある時は自らの演奏家としての立場でアドバイスしある時は作曲家への大きな理解者として存在する熊谷さんの下で、安心して実力を発揮できている。新しい発見をその都度感じるのもこの辺に理由がある。「はだかの島」は斉藤玲子さんによって3回目になるが、彼女自身のたぎる思いで求め続けた結果ある高みに達したと言えるもので、厳寒の海に孤立する裸の島を目の当りに見るような瞠目の演奏は、このステージで生まれたもので、音楽展30年の軌跡を示す一つであろうと私は勝手に思っている。



「日本の音楽展」30年として

廣瀬量平(1930年7月生)

「日本の音楽展」30年おめでとうございます。自分もまたささやかながらその企画に参加し、微力ながら協力出来ることを嬉しく思います。 

 「継続は力なり」の言葉のようにここで芽を出した若木がいつか巨木となり、やがて大地に確固たる根を張る森に育つことを願っています。 

 この夢を実現させるべく努力と実践につとめてこられた熊谷弘さんに大きな、讃辞を捧げます。



熊谷弘 讃

湯山 昭(1932年9月生)

1979年より開催してきた「日本の音楽展 主宰:熊谷弘さん」(株シド音楽企画 代表 松崎三恵子さん)が記念すべき30周年を迎えます。日本の作曲家を特集したこの壮大な企画の実現とその持続を思うとき、主宰者である熊谷弘さんの英知とスタッフのご努力に心からの敬意と感謝を捧げるしだいです。この音楽展のことですが、第一回目は一夜限りの音楽展でした。第二回目は二夜、第三回目は三夜というように毎年その規模を広げ、第五回目からは五夜連続の演奏会となり、しばらくそれが続いた後、なんと六夜連続という未曾有の作品演奏会となりました。熊谷さんがプロデュースするこの演奏会の特色は、名ある作曲家から新人の作曲家まで、偏見のない幅広い選曲がなされているところにあります。と同時に演奏家の起用も多彩で、名ある演奏家はもとより、音大を卒業したばかりの未来を嘱望される演奏家にスポットライトを浴びせ、いまやこの「日本の音楽展」は新人の登竜門としての大切な役割を果たしているのです。熊谷さん本当におめでとう、そしてありがとうございます。



日本の音楽展XXXへのメッセージ

三善 晃(1933年1月生)

熊谷さん。30周年おめでとう。よく頑張ったね。でも、今こそ力を出して張り切ろう。これからもっと若返って「音楽展」の広がりも根強く開拓しよう。そうして、頂点がもっともっと高くなって、見晴らしも呼びかけも効く。僕の音楽観のすべてをかけて、熊谷さんを応援するよ。みよしあきら。



「日本の音楽展」三十周年に寄せて

田中友子(1933年9月生)

“日本の音楽展”の独自性は既に皆さまご存知の、“演奏家が選んだ邦人作品展”という、他に追随を許さないスタンスそのものにあると言えよう。

このたび三十周年を迎えられるということは、一年に数夜としても、百数十回に及ぶコンサートを、着々と開催しつづけて来られた、指揮者そして作曲家である熊谷氏、そしてシド音楽企画の松崎氏の常ならない情熱なくしては考えられない。  西洋音楽史は、世界の歴史に比して年数の新しいもの(バッハ生誕の十七世紀後半は、既にルネサンスから三世紀も経ている。)であるところへ、明治時代の“音楽取調べ所”に始まる西洋の音楽手法の導入は、更に日の浅いものである。殊に邦人作品は、作曲本来の独自性の追求という点から、暗中模索の積み重ねであったと言えよう。

これを、“地に足のついたものとして育てなければ”と熊谷氏は考えられた。

暖かい、そして むしろ熱い心で。

今ここに、この困難を乗り越えた「日本の音楽展」が演奏家のチョイスに耐える確たる存在として光を放ち始めた。

三十周年、心からおめでとうございます。



偉業をたたえます

金光威和雄(1933年10月生)

 ついに30回目という大きな節目を迎えた「日本の音楽展」。1夜だけの催しから始まり、ついに1週間の定例行事にまで成長・発展しました。「演奏家が自ら選んだ日本の作品で演奏会を」と提唱した熊谷氏の真摯な理念がまっすぐ貫かれたまま迎えた第30回に、明るいものを感じます。プログラムは新・旧、または諸様式の作品が混在して一見無定見のようですが、そんなことは百も承知の上で筋道を曲げずに進めてきた熊谷氏。偉業と言いたいのは、30年の長さ自体よりも、余人のなしえなかったこんな大きな大切な企画を、自ら発足させ、継続・成功させた実績についてです。畏敬の念とともに心からの賛辞をお送りします。その主宰者熊谷氏、そして拙作品を演奏してくださった演奏家の方々、さらに聴いてくださったすべての方々に厚く感謝いたします。



増本伎共子(1937年2月生)

 熊谷さんは、40年ぐらい前に、いわゆる「クラシックおたく」ではない、一般のサラリーマンをターゲットにした「クラシックス」というコンサート・シリーズを始められて以来、終始一貫して、聴衆のことを考えられた楽しく、且つ聴き応えのあるコンサートを心がけて居られるように、私には思えます。それが、毎年末の「第九と皇帝」であったり、「日本の音楽展」であったりするわけです。とくに、「現代音楽」を特別扱いされずに「こういう音楽もあるよ」みたいな感じで、「日本の音楽展」の中に持ち込まれ、なんの先入観や効能書きもなしにお客に楽しんでもらう、という行き方は見事です。

 斯く云う私も、今や70代のおばあさんになりましたが、お付合いの当初から変わらぬ、氏の若々しさとプラス志向、そして演奏家というものを識り盡くしたコンサート作りの姿勢に、ただただ脱帽。今後の益々の御繁栄をお祈り申し上げます。



第30回へのメッセージ

末吉 保雄(1937年3月生)

 音楽は、伝承の、ある仕方、在り方と言えるでしょうか。昔からの様々を受け、次代に伝える、それは日本の伝統芸術に限りません。旧石器時代の遺跡に石、骨製の笛が残されているそうで、メロディーは失われても「笛の音」のつくる音楽領域をイメージすることが出来ます。日本のフルート音楽は、この長い伝承の先端に位置しています。

 熊谷さん、「日本の音楽」を次代に渡してゆくために、我々の世代の勤めを、おたがいに続けてゆきましょう。そして、第40回の祝辞を記す光栄に預かれるよう願っています。



「日本の音楽展30周年おめでとうございます」

文教大学学園理事長 田村 徹(1938年1月生)

 日本の音楽展を主宰されている「熊谷弘先生」は、私の郷里の先輩であり大学の先輩であり、私の作曲の師クラウスプリングスハイム門下の兄弟子です。

 私にとって熊谷先輩は、海原の灯台のような方です。また日頃ご無沙汰をしていても、お会いすれば同じ体質の人間同士すぐに打ち解けてしまいます。

 その熊谷先輩が、日本の作曲振興のため日本の音楽展を開催された当初も驚きでありましたが、その偉業が30年続いたとのこと、日本の作曲界にとって喜ばしいかぎりです。

 今後とも、ご健康にご留意され日本の音楽界のため益々ご活躍下さることを祈念いたします。



<「日本の音楽展」30周年に寄せて>

石原忠興(1940年1月生)

「日本の音楽展」30周年おめでとうございます!

 そうですか、もう30年になるのですね。

 あれは確か最初の頃だったかしら、音楽展がきっかけで毎年新しい作品を書いたのは・・・。様々な演奏家たちが書き上がった作品を年々の「日本の音楽展」で披露し、また、演奏家たちは初演後もそれらの作品を繰り返し取り上げて下さり、わたくしの創作にも大いに反映して来ました。

 楽譜として書かれた作品は、演奏を通して音楽実現するのですから、熊谷さんと“シド音楽企画”がその接点を見つめ、「日本の音楽」を現実のものとし、展開して行こうと努めて来られた、ということは、まことに有り難く、また喜ばしいことではあります。



野田暉行(1940年6月生)

 「日本の音楽展」が30周年を迎えられると伺い、あらためて、重ねてこられた歴史の重さに感慨をおぼえずにはおれません。おめでとうございます。

 ただ一言でおめでとうという言葉では申し上げられない深い感慨です。この長い時を変わることなく進めてこられた熊谷さんの強いご意志と情熱に、一作曲家としてただただ熱い感謝と敬意を捧げる次第です。何ものにも代え難いこのお気持ちと御労苦によって、この貴重なお仕事が成し遂げられました。

 このように日常的に日本の作曲家の作品が演奏される機会はとても珍しいことであり、この会の存在は誠に意義深いと言わねばなりません。作曲家にとっての意義は言うまでもなく、同時に若い演奏家には登竜門のような存在であり、そのスタンスは他に例をみないユニークなものであります。この会のポリシーがますます広く浸透し、充実した新たな未来が生まれますよう、心よりお祈り申し上げます。



「日本の音楽展」30周年に寄せて

堀 悦子(1943年2月生)

 「日本の音楽展」が、今年で30周年を迎えられたことを、心からお祝い申し上げます。主宰者である熊谷弘氏とシド音楽企画の皆さまに対し、深く敬意を表します。作曲家の会が主催する演奏会は珍しくありませんが、この音楽展のように、演奏家の側からの視点で選曲し、毎年、それも一週間近くにわたり多数の演奏家が邦人作品を演奏するという発想は、ほかに類を見ません。音楽作品は、苦労して紙の上に書いても、書かれた譜面だけでは何の価値もありません。演奏して下さる方々と、会場に足を運んで耳を傾けて下さる聴衆とによって、初めて“生命”が吹き込まれます。

 私も今までに何曲か取り上げて頂きましたが、日頃はそれと意識していない「日本の音楽」への〈共感〉を、心の奥深くから汲み上げられるような不思議な体験をさせられました。

 このような企画を続けていくことには、想像を絶する困難がつきまとうと思いますが、〈執念の人・熊谷弘氏〉によってこれからもますます着実な活動を展開されますよう期待致しております。



「日本の音楽展」30周年によせて

日本現代音楽協会副会長兼現代音楽教育プログラム研究部会長

坪能克裕(1947年10月生)

 おめでとうございます。

 ひとつの創造的な演奏会企画が30年間・数百日続いたことは、私たち文化芸術を愛するひとびとの全てに、至福の歴史を残してくださったことになります・・・仕掛けはシンプルなように思われます。現代音楽・演奏の場の提供・聴衆の拡がりなどがキーワードになり、自由な表現のスペースが確保されました。若い音楽家には業績を築くこともできたでしょう。しかしこの企画の奥には「日常的な音楽に於ける“協働”」が込められていたように思われます。シンプルなことにより多くのひとびとの支持を得て継続されたことになります。最も困難で難解な現代音楽が核であったことは、驚異でさえあります。主宰の熊谷先生、ご参加の作曲家・演奏家・聴衆のみなさま・陰で支えてくださった多くのひとびとに、私も本企画を愛してきたひとりとして、感謝申し上げたいと思っています。 

 本企画で生まれ育ったひとや音楽が、時間と国境を越えて更につながって行くことを祈っています。



日本の音楽展へのメッセージ

柳田孝義(1948年3月生)

 熊谷先生、シド音楽企画の関係者の皆様、日本の音楽展が今年で30回目を迎えられたことを心からお祝い申し上げます。この30年間1度も途切れることなく、それも毎年真冬の一週間、演奏プログラムを組み日本人の作品だけを演奏するという企画が続いたのは素晴らしいとしか言いようがありません。どのような企画であっても30年先までずっと続けることを考えただけで目が眩む思いがします。

日本の音楽展が始まった当時と現在とでは作曲の潮流も随分変化しています。しかしこの音楽展では時代の流れに関らずいろいろな作品が取り上げられており、演奏家が主体となる音楽会としては当然のありかたを実践されてきたわけです。

 これからもこの音楽展が活発に発展されることを期待してお祝いの言葉といたします。



祝 ! 日本の音楽展30周年記念

菅野由弘(1953年10月生)

 21世紀に入って8年目の今年、日本の音楽展は30年、「継続は力なり」と良く言いますが、まさにこの言葉が相応しい活動歴。執念の30周年、本当におめでとうございます。音楽を生み出すのは作曲家ですが、それを育てるのは演奏家とお客様です。その音楽が育つかどうかの鍵を握る演奏家の視点(聴点)から作品を選び、音楽として発信する、「そういう活動を推進することが文化創造だ」といった言葉はあちらこちらで聞かれますが、それを実践している所はほとんどありません。そんな中で何と30年も、しかも毎年6夜に渡るシリーズとして続けられているのは、驚異としか言いようがありません。が、執念などと書きましたが、熊谷弘さんを見ていると、どうもこの言葉が当てはまりません。音楽を愛してヒョウヒョウと続けて来ただけ、とご本人も仰ることでしょう。見る限り、まさにそうです。自然体だからこそ続いている、と。淡々と歩み続け、その後ろには確実に道ができる。皆が集う素敵な道が、これからも続いて行くことを、こころから願っています。

 

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